FLAMENCO SHOW

フラメンコショー

ARTIST PROFILE

PASTORA&JOSE GALVAN

パストーラ・ガルバン&ホセ・ガルバン グループ 2017.11/15~12/1 出演

舞踊家として、ヨーロッパ、日本、北米、中東、キューバなど多くの都市の劇場や フラメンコ・タブラオ、フラメンコ・フェスティバルや世界のメジャーなダンスイベントに出演し、名を残す。

MEMBERS

パストーラ・ガルバン

PASTORA GALVAN

パストーラ・ガルバン(Baile/踊り)
1980年セビリア生まれ。ホセ・ガルバンの娘。兄、イスラエル・ガルバンの前衛舞踊の影響を多大に受け育つ。 1990~1998年、セビリア国立舞踊学院でスペイン舞踊のキャリアを形成する。通学の傍ら、プロとしての活動も開始。 1995年、15歳で初のアメリカツアーにサン・フランスシスコ・フラメンコ劇場カンパニーとともに参加。翌年、スタンフォード大学においてクルシージョ(フラメンコ短期講習会)を開講し、イスラエル・ガルバン カンパニーとともにフランス公演にも参加する。以来、クラスを開講しながら、世界各地で多くのカンパニーの公演に舞踊ソリストとして活躍。 舞踊家として、ヨーロッパ、日本、北米、中東、キューバなど多くの都市の劇場やフラメンコ・タブラオ、フラメンコ・フェスティバルや世界のメジャーなダンスイベントに出演し、名を残す。 ビエナル・デ・セビリア(スペインのセビリア市で2年毎に開催される最大のフラメンコ・フェスティバル)では、イスラエル・ガルバンの作品「見てごらんよ!赤い靴(Mira/Los zapatos rojos)」を初演した1998年以降、パストーラのバイレ(踊り)に注目すべき特別な価値を与える。2000年「変身(La Metamorfosis)」、2002年「ガルバニカス(Galvánicas)」で兄妹共演、2004年「二人兄妹(Dos hermanos)」ではギタリストのヘラルド・ヌニェスも加わり好演。同年、パストーラは歌手チャノ・ロバートと共演するなど多様な作品を手掛ける。 彼女のキャリアにおける大きな分岐点は2006年9月16日、ビエナルで初演した「フランス貴婦人(La Francesa)」。バイレ(踊り)主体の作品で、イスラエル・ガルバンがパストーラのために創作した5種の振り付けを、ペドロ・G・ロメロの指揮で完璧なものに仕上げた。 同作品は、マドリード・アンダルシア・フラメンコ・フェスティバル、へレスフェスティバル、グラナダ国際フェスティバル、モンテペリエダンスフェスティバルなど数多くの重要なフェスティバルで上演される。パストーラの成功は偉業であるとファンや評論家の間で称賛の声が上がる。2008年、セビリアのホアキン・トゥリナで開催された「フランス貴婦人」凱旋公演では、観衆を驚愕させた。 2008年、ペドロ・シエラ作品「3つの動き(Tres movimientos)」にゲストアーティストとしてイスラエル・ガルバンとともに出演。同年、フラメンコ・フェスティバルのために作られた「4つの曲がり角(Cuatro esquinas)」においてカルメン・リナーレス、ミゲル・ポベダ、ギタリストのファン・カルロス・ロメロらとともに参加。さらに本公演は、北米など多くの都市やカイロ、ベイルートの春祭りなどでも上演され、新境地へと活動を広げる。 これまでに、エバ・ジェルバブエナ、フェルナンド・テレモト、ラ・スーシー、ニーニョ・デ・プラ、マリア・パジェス、ホセ・ルイス・ロドリゲス、アルカンヘル、ホアキン・グリロ、ラ・トバラ、ペドロ・シエラなど数多くのアーティストと共演実績を持ち、中でもカルメン・リナーレスとの「白い女神(La Diosa Blanca)」はフラメンコに携わる女性のみならず全女性に捧げる特別な作品としての意味を持ち、2005年、2007年にはアントニオ・カナーレスが優秀な若手フラメンコアーティストを集結し公演を行う。 「ピアノ・フラメンコ(Piano Flamenco)」において、ピアニスト兼作曲家のダビッド・ペーニャ・ドランテス、歌手エスペランサ・フェルナンデスらと数多くの共演を果たす。 彼女の精神力、エネルギーは留まるところを知らず、継続的に新たなプロジェクトや芸術的チャレンジを続ける。近年、パストーラの新プロジェクトとして、バルセロナ花市場においてフラメンコ・エンピリコ・フェスティバルを立ち上げ、2009年に伝統とモダンが共存するへレスフェスティバルで初演を行う。 2013年、パロマ・ファントーバ、カリメ・アマジャ、パストーラ・ガルバンの三大女性舞踊家による、カルメン・アマジャへのオマージュ作品「記憶の中のカルメン・アマジャ(Carmen Amaya en la Memoria)」を熱演。タブラオ・コルドベス財団、芸術科学フラメンコアカデミーらが主催し、ヨーロッパそしてスペイン主要都市にて公演を行う。 2014年、自身の新作であり、ビエナルフラメンコプログラムにも登場した「アイデンティティ(Identidades)」をセビリアのマエストランサ劇場で初演し、成功を収める。 <参加フェスティバル> モン・ド・マルサン(2000年)、モンテジャノ(2002年)、グラナダ・コラール・デル・カルボン(2003年)、アルブルケルケ、アルジュレス・シュル・メール、メキシコのモンテレー(2004年)、マイアミ・サンフラメンコフェスティバル(2005年)、へレスフェスティバル(2006年)、マドリード・フラメンカアンダルシア、フラメンコ・マラガ、モンテペリエダンス、グラナダ国際フェスティバル(2007年)、北米フラメンコ・フェスティバル、オランダフラメンコビエナル(2008年)。ニーム、へレス(2009年)、花市場フラメンコ・エンピリコ、へレスフェスティバル(2009年)、第39回モゲルフェスティバル(2013年) 1998年以降、ビエナル・デ・セビリア全回出演。 <受賞履歴> 2001年:第16回フラメンコ国家芸術コンクール・マティルデ・コラル賞 2006年:「LaFrancesa」ヒラルディージャ賞 2010年:「Pastora Sevilla」ヒラルディージャ賞

ホセ・ガルバン

JOSE GALVÁN

ホセ・ガルバン(Baile/踊り)
12歳でセビリアのラジオ番組 Escucha usted a sus vecinos(隣人の声を聴け)のコンクールにおいてアーティストとしてのキャリアをスタートし、優勝を収める。その後アンダルシアを拠点にラファエル・サンティステバン、ペペ・ラ・ロサ、マノロ・バラらとともに公演を行う。 1962年、マドリードのフェリアに出演。 1965年、この時代の卓越したフラメンコアーティストが必ず出演していた有名タブラオ コルティホ・デル・グアヒロ(Cortijo del Guajiro)に初出演。マノロ・エスコバル・カンパニーの一員として活動を行う。 1966年、セビリアのタブラオ パティオ・アンダルス(Patio Andaluz)、ロス・ガジョス(Los Gallos)に出演。 1967年、エウヘニア・デ・ロス・レジェス・ベルムデスと、コスタ・デル・ソルにあるタブラオ、エル・プラテロ(El Platero)にて初舞台を踏む。その後、エンリケッタ市長より金のガジョ賞を贈られる。 1970年、ファルーコ、マティルデ・コラル、ラファエル エル・ネグロ、ファルキート、マヌエラ・カラスコ、コンチャ・バルガス、レブエロらとともに、フラメンコ・タブラオとして最も歴史の古いラ・コチェラ(La Cochera)にて好演。 1971年、アメリカツアーを敢行し、そして同年、アーティストとしてのキャリアを終え、1977年、サン・ホセ・オブレロ地区にダンス・アカデミーを設立。 1982年、アカデミーにバレエダンサーを育成するコースを設ける。アカデミーのバレエは、フラメンコ・タブラオ ラ・トロチャ(La Trocha)で初演を行う。さらに、スペインテレビのダンス番組Gente joven(若者たち)において2つの賞を受賞したほか、金のトロチャ賞も獲得する。 アカデミーから多くの優秀なアーティストが輩出される。カルメン・ベルガス、ファン・フェルナンデス、ファナ・アマジャ、イネスタ・コルテス、ファン・デ・ロス・レジェス、イスラエル・ガルバン、ラファエル・カンパージョ、マヌエル・ベタンソス、スサナ・カサスなどが。これらの踊り手は、マリオ・マヤ・カンパニーの一員として活躍。音楽テレビ番組La Buena Música(素晴らしい音楽)で作品Sevilla(セビリア)を上演し、賞を受賞する。 アカデミーには、スペイン全土、さらに海外からも多くの生徒が集結。ファン・パレデス、ラファエル・デ・カルメン、ドミンゴ・オルテガ、ヘスス・コルドバ、バルトロ、マヌエル・サルゲロ、ペペ・ルイス、マヌエラ・リオス、アデラ・カンパージョ、ラ・チャブカ、アナ・マリア・ブランコ、マリア・デル・マル・ベルランガ、タニ(デ・バルセロナ)、ミラグロ・デ・ベルガス、ルイサ・トリアナ、ラロ・テハダ、イサベル・ロペス、パストーラ・ガルバン、マリア・セラーノ、パキ・デル・リオ、ラ・トロンバなど。ローラ・フローレス、エストレジータ・カストロ、アントニオ・ルイス・ソレールらと共演している。 1989年、日本、北米、フランス、イタリア、ポルトガルなどにおいてもクラスを開講。有名な踊り手として、日本人舞踊家のAmi Kamata、エレナ・マルロー、ヤエリサ、ラ・フィリグラナ(北米)などがいる。 第11回、ビエナル・デ・フラメンコに、イスラエル・ガルバンがLa Metamorfosis(変身)で出演。 42年間のアーティスト人生を迎えたのちも、今なお彼の踊りはフラメンコの象徴、風情、コンパス、力強さがうかがえる。 幾度となくセビリアのビエナルに参加し成功を収めたのち、2016年、娘パストーラとのへレスでの公演がヒラルディージョ賞を受賞。ニュー・メキシコのアルバカーキで、セビリア・フラメンコ後援会にフラメンコクラスを指導。また、自身の新作Aroma de Romero(ローズマリーの香り)をパリのシャイヨー劇場において好演。