FLAMENCO SHOW

フラメンコショー

ARTIST PROFILE

La Familia Fernández Group

ファミリア・フェルナンデス 
2018/9/13(Thu)~2018/9/23(Sun) 出演

MEMBERS

ESPERANZA FERNÁNDEZ

エスペランサ・フェルナンデス(Cante/歌)

セビリア生まれ。

異なる声を自由に操る才能あふれるフラメンコの唄い手の一人として、多ジャンルのアーティストと共演を行う。
その活動に幅は多岐にわたり、デュオ、トリオ、カルテット、ジャズ、管弦楽団など様々な形態でコンサートを行い、国内に留まらずニューヨーク、パリ、リスボン、ブラジリア、モロッコ、ケルン、ブリュッセル、ローマ、アテネ、エルサレムなど世界各地で活動する。

フラメンコの聖地と言われるトゥリアナ地区で生まれ、名の知れた唄い手、ギタリストや踊り手の家族に囲まれ、素晴らしいフラメンコの遺伝子を受け継ぐ。

そのキャリアにおいて、アンダルシア評議会文化審議会より、アンダルシア・若手フラメンコ賞を授与される。
SGAE 財団よりスペイン代表として選ばれ、ドイツ・ケルンで開催されたPop Komm‘97に出演。
2枚目のCD「レクエルドス」は、スペインの新聞社からなる54名の専門家が選んだ2007年ベストフラメンコCDに与えられる「フラメンコ・オイ」賞とCanal Surテレビ局の「エル・プブリコ」賞を満場一致で受賞。さらにこのアルバムでラテングラミーのベストフラメンコレコードにノミネートされる。
同年、第15回セビリアのビエナルにおいて、伝統と現代のアレンジでフラメンコを評価する「ヒラルディージョ・デル・カンテ」を授与、その後、クララ・カンポアモール賞も手にする。
2009年、アル・アンダルス賞と第12回ヒターノ・アンダルス賞受賞。
生まれ故郷の街セビリアでは、町の貢献者に送られる「メダージャ・デ・セビリア」を受賞。
2015年、ジプシー文化振興財団より、「4月8日ジプシー文化賞」を授与。

ダビッド・ペーニャ・ドランテ指揮製作による3枚目のアルバム、ノーベル賞作家サラマーゴの傑作「ミ・ボス・エン・トゥ・パラブラ」をひっさげおこなったスペイン、ヨーロッパツアーで成功を収める。

キューバが生んだ偉大なる音楽家エルネスト・レクオーナの人生を音楽でたどるドキュメンタリー映画「Playing Lecuona」にオマーラ・ポルトゥオンド、アナ・ベレン、レイムンド・アマドア、チューチョ・バルデース、ミッシェル・カミロ、ゴンサロ・ルバルカバなど著名ミュージシャンとともに出演。

彼女の作品「デ・ロ・ホンド・イ・ベルダデロ」と「オー・ビーダ!」は世界中で大きな成功を収める。

Curro Fernández

クーロ・フェルナンデス(Cante/歌)

ジプシーカンタオール。1941年12月、セビリアのトリアナ地区生まれ。フラメンコカンテ(唄)世界で最も名の知れたラ・ファミリア・フェルナンデスの代表。

父はファン・ホセ・フェルナンデスで、父の芸術的功績が認められセビリア市議会が記念碑を置いた場所、トリアナ地区のファビエ通りで生まれる。母はサルード・リオス。
6歳の時、家族とともにパニョレタ(カマス)に移住。この時代、土地の安さからトリアナを離れ、カメロ地区にやってくる家族が多く、この土地は「ラ・トリアナ・チカ(リトル・トリアナ)」と呼ばれた。

クーロは、このパニョレテで、フラメンコ好きの父やいとこの影響もありフラメンコに目覚め、また、暖かな夏の夜を利用し、アンダルシアのフラメンコがこの土地で瞬く時代を築いた。友達の前で唄を唄ってはいたが、この時代、子供たちはサッカーに熱中していた。
しかし、サッカーをやめ父の仕事の手伝いをするうちに、少しずつスポーツへの情熱を失っていく。
17歳で、唄とダンス合唱団に入り、再びフラメンコの世界に戻っていく。橋の欄干に登り食事を忘れて唄を唄い続けることもあり、父親に「楽しいことはあったか?」と聞かれると「唄が僕を天空に連れて行ってくれる」と答えるほど唄の世界にはまっていった。
合唱団は、ブルゴスからバジャドリッドまでスペイン全土を駆け巡っていた。ムルシアを通過したころ、合唱団の唄い手が病気になり、みんながパコに注目したが、唄を尊重するあまり、替わりに唄うことを拒み続けた。チームメイトが彼を励ましたが、だれもこの時、将来パコが、多くの有名な踊り手の後ろで唄い続ける未来を想像することはできなかった。
パコの歴史はまだまだ続く….

Pepa Vargas

ぺパ・バルガス(Cante/歌)

レブリハで生まれのジプシー。牧場主と芸術家系の家に生まれる。父キンティン・バラス・フェルナンデスは、馬のディーラー界で有名な男であると同時にユネスコによって認められた無形文化遺産芸術であるカンテフラメンコの偉大な愛好家であった。
彼の母親フランシスカ・トーレス・モレノは偉大なアマジャ一族の一人。

ラ・ファミリア・フェルナンデスの一員としてぺパ・バルガスの芸名で活動を始めるとともに、今世紀さまざまなジャンルで広く活躍するアーティスト、エスペランサ、パコ、ホセリートの母である。

偉大な芸術家の妻、ラ・ファミリア・フェルナンデスの総長である夫クーロ・フェルナンデスとともに、アーティストの母と妻として二足三足の草鞋を履き、責任ある仕事をし続ける。
ぺパ・バルガスは、子供らに古来のフラメンコ、フラメンコのルーツを伝承し続けると言える。

彼女は、カンテの深いスタイル、フェルナンダ・デ・ウトレラエスラの唄い方を投影している。9人兄弟の4姉妹、踊り手である姉のコンチャ・バルガス、唄い手兼踊り手のカルメン・バルガス、また兄弟のディエゴ・バルガスは、詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカを学んだジブシー詩人である。

ペパは、人生の多大な時間を妻として母として費やしたが、80年代、夫クーロ・フェルナンデスとアントニオ・プルポンがラ・ファミリア・フェルナンデスを結成して以後、ペパも一員として加わり、スペイン、アジア、インドなどで開催される多くのフェスティバル、シアター公演に出演し、その名を広く知らしめる。
彼らの子供たちが家族と離れソロ活動を開始した後も、ペパはクーロとともにフェスティバルやCD録音などの活動を行う。
2014年.息子のパコ・フェルナンデスと共に、ビエナル・フラメンコに出演し、記憶に残る成功を収めた。

現在、ペパ・バルガスは、セビリア大学の2人の人類学者フェルナンドン・G・ルイスとラファエル・ガセーロスとともに、自身の半生をつづる自叙伝を制作中。
2018年、幸運にも夫、子供たち、ラ・ファミリア・フェルナンデスで、久しぶりに日本を訪れ東京のタブラオ フラメンコ“ガルロチ”で公演を行う。
ペパ・バルガスはフラメンコと呼ばれる素晴らしい芸術を表現する独特の個性と世界観を持ち合わせた唄い手である。

Paco Fernández

パコ・フェルナンデス(Guitarra /ギター)

1967年、トリアナ生まれ。フラメンコ界で最も有名なラ・ファミリア・フェルナンデスの一人。父、クーロ・フェルナンデスと母ペパ・バルガスの血筋を受け、兄弟であるエスペランサとホセとともに、そのプロキャリアにおいて、最もピュアなジプシースタイルを継承している。

若干8歳で「パタ・ネグラ」創設者であるラファエル・アマドールにレッスンを享受し、ギターを弾き始める。その後、“ギタリストの父”ミゲル・ぺレスに師事し、技術を磨いていく。

12歳でセビリアのアルバレス・キンテーロ劇場で兄弟のエスペランサとホセ・フェルナンデスとともに、グループ「パディージャ・ヒターナ」を結成し、公式デビューを果たす。

翌年、父クーロ・フェルナンデスとD.ホセ・アントニオ“プルポン”が、国内にファミリーの存在を知らしめるため「ラ・ファミリア・フェルナンデス」というグループ名を命名。
ラ・ファミリア・フェルナンデスは、日本、アメリカ、インド、ヨーロッパなど、世界の重要な都市を訪問する興行を開始。

パコは若手の段階で、偉大なギタリストであるラファエル・リケーニに招聘され、彼の第二ギタリストとして公演に参加。
以後、カマロン・デ・ラ・イスラ、ケタマ、ライムンド・アマドール、アントニオ・ニュネス、トマティート、デュケンデ、ファルキート、ホアキン・コルテス、フォスフォリート、ファニート・ヴィジャール、ディエゴ・カラスコ、フアニータ・レイナ、ニーニャ・パストリ、ロシオ・フラード、アントニオ・カナーレス、アウロラ・バルガス、レメディオス・アマジャ、ラ・スシ、モレニート・デ・ジョラなど偉大なアーティストとの共演を行う。

José Fernández

ホセ・フェルナンデス(Baile/踊り)

セビリア生まれ。洞窟のジプシーカンテ、クーロ・フェルナンデスとレブリハのカンテ、ぺパ・バルガスの息子。唄い手エスペランサ・フェルナンドとギタリストであるパコ・フェルナンデスの兄。ぺパ・リオスから唄の手ほどきを受け、天才ファルーコと子供のころからともに仕事をする。エル・レブリハノとファルーコとともに作品「ペルセクション(1978)」、パコ・モヤーノとは「デ・レジェンダ(1991)」、エヴァ・ジェルバブエナト「ラ・アマンテ」でそれぞれ共演を果たす。
1992年まで、ラ・ファミリア・フェルナンデスの一員としてスペイン国内を廻る活動をメインに行い、パコ・デ・ルシアとの共演も行う。
ダンス興行を通じて、イタリア、オランダ、ドイツ、フランス、日本、インドなど多くの国を廻る。
マノレテとエル・グイトを崇拝し、1993年、兄弟らとともにグループ「ホベネス・フェルナンデス」を結成し、第8回ビエナル・フラメンコにおいて「スエニョ・コン・ミ・ギタラ(1994年)」作品を初演。第9回ビエナル・フラメンコには作品「バイラオーレス(1996年)」で参加、またセビリアのセントラルシアターで1998年に行われたビエナル・フラメンコでは「モビメントス・ポる・パレハス・リブレス」で参加し、エバ・ラ・ジェルバブエナと人気を二分した。

同年、第10回ビエナルのテレビ番組「トマテ&フレンズ」のキャストで登場し、1999年夏まで、トマティートとツアーを行い、2000年、トマティートとともに作品「バハンディ」デびビエナルに返り咲く。

Miguel Fernández

ミゲル・フェルナンデス(Percusión /パーカッション)

パーカッショニスト。1999年、セビリア生まれ。
ラ・ファミリア・フェルナンデスの一員。踊り手である父の影響でフラメンコの世界に足を踏み入れ、父親の直近の2つのショーで、オマーン、アイルランド、ドイツ、エジンバラなどを回る世界ツアーに参加。
マヌエラ・ラミレスの作品「ミラーダ」に加わり、スペイン国内ツアーを遂行。
セビリア音楽舞踊学校の依頼を受け、スペイン国立バレエ団第一舞踊手アナ・モヤとともにコース修了パーティに出演。
現在、母親である唄い手、エスペランサ・フェルナンデスとともに作品「デ・ロ・ホンド・イ・ベルダデロ」興行に出演しヨーロッパツアーに参加、また同作品のCD制作にも協力する。その他、ギタリストのミゲル・アンヘル・コルテスともコラボレートする。